考える我

読書1
『哲学マップ』61頁まで。デカルトの幾何学主義、人間機械論。

「心身問題」は今だって身近な話。科学的に説明のしようがないんじゃないかと思える。そのくらい人間は複雑にできている。そもそも解明する必要があるのだろうか。解明できたらノー・プロブレム!となるのだろうか。

そういう話を出すと、面倒くさい奴だなぁと言われる。でしょうね、自分でもそう思うときがある。でも考えることを止められない。

こうしてコツコツと哲学の本を読むのだって、仕事のキャリアアップになるわけではないし、知識の上乗せになるようなものでもない。考えたところでどうするの? 考えたらどうなるの? 残念ながらそれに対する答えはない。

たぶん、これが「深く勉強する」ということなんじゃないか。深くやることは、今までの自分のリズムを壊すことなんじゃないか。

自分をぶっ壊す?


読書2
佐藤春夫『田園の憂鬱』、46頁まで。

人生は何色でしたか

知人にモーツァルトの大ファンがいて、その人からモーツァルトに関することを色々聞いていた。音楽に関して神童だったこと、11才でオペラ作曲、20才で宮廷音楽家。軽快で華やかな曲調、「僕はね、(モーツァルトの曲は)明るいから好きですねぇ」と知人は言っていた。

今日ラジオの聞き逃し放送リストを見ていて、たまたま見つけたのが
モーツァルトの『絶望名言』(NHK 読むらじる)
これを読んで驚いた。華やかな曲調とは真逆と言えるほどの、絶望に満ちた人生。

『僕たち家族4人は、幸福でも不幸でもありません。僕はその事を神に感謝しています。みんなが健康でさえあればそれでいいのです。幸福というものは、想像の中だけにあるのですから。』
モーツァルト、20才のとき。
翌年には母親が亡くなっている。

モーツァルト自身は35才で亡くなるが、それまでに父親が死に、生まれた子らが死に、音楽界からは冷たくされ... 本人はどう思っていたのか分からないけれど、天才ともてはやされたころは、父親にあちこち連れていかれ、大人の世界を嫌というほど垣間見ただろう。彼に「子ども時代」なんて無かっただろう。

だからこそ曲に希望をこめたのだろうか。

「僕の知り合いで僕のことを不機嫌そうだとか悲しそうだとか、そんなふうに言う人は1人もいないはずです」
だとしたら、彼の作品の本心は、すべて逆のところにあるのだろうか。

私の知人は、そういうモーツァルトの暗い面を一切話してくれなかった。モーツァルトを熟知していた人だから、知らなかったということはないと思う。

「モーツァルトの最期は悲しいですね。なぜ話してくれなかったんですか」
知人が生きていたら、そう訊いてみたかった。



とても分かりやすいモーツァルト年表を見つけました。
http://www.prmvr.otsu.shiga.jp/ensemblevoce/Mozart/Mozart1.html



1月14日の日記

家族、インフルエンザA型から回復。数日はウイルスが出るようだから気をつけないと。今回も私にはうつらなかった。
※用心したこと:
タオル、うがい用コップ、歯みがきペーストは別々のものを使う(普段から別々にしている)。大皿料理はやらない。同じ部屋で睡眠とらない。鼻をかんだりしたティッシュを素手で触らない。換気する。室内の加湿。睡眠不足にならないようにする。

読書、『哲学マップ』を読み始めた。図書館の本。最初「あーやっぱりなぁ私には難しすぎたか...」と後悔したんだけど、プラトンの"イデア"あたりから俄然面白くなってきた。今日読んだ中で、「"神"は視点」と捉えることに膝ポン!!

時空を超えたすべてを見通すことができる「神」という超越的視点は、<全体>をカバーしようとする哲学とも相性はよかった。

貫 成人『哲学マップ』 ちくま新書, 2004

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