考えないが人間のデフォルトらしい。

介護の仕事を始めたころは、業務を覚えるのが大変で、介護そのものについて「考える」なんて余裕は無かった。

介助技術を体得し、仕事の流れが分かってきて、(在宅ケアであれば)自分ひとりで判断ができるようになってから、いろいろと考えるようになった。

たとえば、
・介護の意義とは?
・このケアは利用者のためになっているのか?
・私はなぜ「介護」を選んだのか?
等々。

今日読んだ本によれば、
"人は考えないように生きる。しかし、時に考えさせる何かと出会う"そうだ。

私の場合は多分、日々利用者と接するなかで、大なり小なり不測の事態に遭遇し、それをきっかけに「考えさせられ」ているのだろう。業務は体が覚えているから、半分自動化されている。その安定した基盤(自動化、習慣化)があるからこそ「考える」、ということのようだ。

考えずにいられるのはラクだし、平穏な気持ちでいられるんだろうな…と同時に、それは退屈かなとも思う。



読了:
『哲子の部屋 哲学って、考えるって何?』